blogスタッフブログ
懐かしの写真で振り返る、山形交通株式会社からつながるタクシー事業のあゆみ
蔵王温泉営業所。昭和40年代の撮影と思われる。手前の車両はブルーバードとコロナ
◆懐かしの写真で振り返る、山形交通株式会社から
つながるタクシー事業のあゆみ
年末に倉庫整理をしていたら昔のアルバムをみつけました。今回は、その中からいくつかピックアップして、山交ハイヤーがあゆんできた歴史の断片を写真でふりかえってみたいと思います。
よろしくどうぞ、おつきあい下さいませ。
当時の車両は、コロナ、ブルーバード、バイオレットetc…
手前がブルーバード。二番目がコロナ。
写真は、昭和40年代の済生館前営業所駐車場と思われます。
昭和30年代からはトヨタ・コロナや日産・ブルーバードなどの車両が当社では使われていました。
写真を見ると、現在の車両デザインとは全然ちがいます!当時の車体カラーは深緑!チャームポイントのぼんぼり(社名灯)には山形交通株式会社のロゴマーク、ドアには翼のロゴマークが描かれています。現在のUTORIAカラーの小型車両とはまたちがった雰囲気で、味があります(なんだか手前味噌みたいですが)
のちにマークⅡなどを使用していた時代を経て、現在のようにコンフォートやクルーが小型ハイヤーの主流となりました。機会があれば、今後さらに車両やデザインの変遷を調べてみたいと思います。
写真でふりかえる、移転前の山交ハイヤー本社と山形市内の営業所
本社建物(円応寺町)からの眺望。昭和46~54年頃。
山交ハイヤーの本社は、3回移転しています。もともとは十日町の三ノ丸土塁跡に本社を構えていた当社(当時は山形交通株式会社のタクシー部門で、通称が山交ハイヤー)ですが、昭和42年に山交ハイヤー株式会社を創立させて分社化します。昭和46年に、山形交通株式会社が所有していた円応寺町の建物に本社を移転しました。そのため、建物の3階部分に「山形交通」と書かれているようです。
のちに鉄砲町、桧町(現所在地)の順に本社を移転しています。
また、当社の全盛期(昭和40年代)には山形の市街だけでも以下の営業所がありました。
北駅営業所 常時2~3台程度の車両を稼働 |
千歳公園営業所 |
緑町営業所 常時10台程度の車両を稼働 |
城西出張所 常時10台程度の車両を稼働 |
済生館前営業所 |
七日町出張所(夜間のみ無人。直通電話あり。) |
南営業所(昭和40年代後半に、現在の鉄砲町に完成) |
当時は市内各地に営業所やタクシーベイがありましたが、それには理由があったんです。
◆ 各地に営業所やタクシーベイがあった理由って、なに??
城西出張所。昭和42~52年頃。稼働車両は約10台。
済生館前営業所の駐車場。昭和40年代と思われる。
当社は現在、お客さまからいただいたお電話や、スマートフォンアプリで送信された乗車場所を運行司令室で確認し、一番ちかくにいる車両がおうかがいすることで、いち早い迎車を実現しております。
しかしタクシー車両に無線機が普及する前は、どうやって迎車していたのでしょうか?
ご用明をいただくと、営業所に常駐している待機車両がお迎えに行った
今回の記事を書くにあたり取材に応じていただいた当社のOB曰く、
昭和39年当時、無線車両は30台余り。うち、比較的感度が高い真空管無線を積んでいる車両は22台、残りの約10台が積んでいたのはトランジスタ無線といわれるものだったようです。
そうすると、無線を積んでいない車両は、本社や営業所と連絡する手段がありません。
だから、かつては緑町営業所や済生館前営業所、七日町出張所など多くの乗り場があり、またそれが必要不可欠でした。ところが、のちに無線機が全車に導入され(認可され)、営業所の数だけ必要だった電話番号がなくなり、待機車両を自由に稼働させられるようになりました。各地に営業所がなくてもスムーズにタクシーを呼べる環境が整ったんですね。
考えてみると当たり前のことなんですが、いまいちどタクシー事業の歴史を振り返ってみると、これはとても大きな変革だったように思います。
機会があればまた、このシリーズで更新してみたいブログ担当でした。
山交ハイヤー株式会社 |
山形県山形市桧町2-6-1 TEL.023-684-1515 |
http://yamako-hire.jp/index.html |
- タクシー配車受付はこちら
-
山形地区タクシー受付/ 24時間
-
蔵王地区タクシー受付/ 24時間
-
上山地区タクシー受付/ 7:00〜18:45
-
天童地区タクシー受付/ 6:00〜22:00
-
貸切ハイヤー受付/ 平日9:00〜17:00
-
福祉タクシー受付/ 平日9:00〜17:00
※蔵王地区はお時間を頂く場合がございます。